2011世界体操選手権コラム「規定がなくなった今の体操」

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私はどちからかというと規定でも点数を稼げたから、規定があった方が私は好きだった。みんなが基本の技で組み合わされた同じことをやるという条件の中、選手の体操の根本が評価されることが私は好きだった。自由は得意な技を最大限の武器にして、苦手なものは得意なものでカバー出来る。しかし、規定はその意味で言えば苦手なものでも演技せねばならず、逃げ場がないような感じだった。
規定と自由の練習をするということは、長い時間を要することになり、その点では旧共産圏の選手たちはたくさんの時間を使って両方を練習できたが、日本は学校がある為、短い時間でその練習をせねばならず、厳しいものがあった。しかし、規定がなくなり、自由だけに集中できるということで、日本にとっては有利になったと思う。
規定がなくなった後、更に団体戦のルールも7-6-5や、6-5-4になったり、団体決勝が出来たりと、団体戦の戦い方が変わってきたきっかけにもなった。自由の一発勝負というのが競技性をエンターテイメント性に繋げた部分もあると思う。しかし、見ている方は詰まらないとは思うが、選手として同じものをやって、他の選手と比較され、いかに他の選手と差をつけるかというのが規定の良さであり、それが体操では非常に大事な要素になると思う。
昔は高難度技にしか目が向かない傾向こそあったが、今はC難度技もDスコアを上げる要素になり、技を追い駆けていた時代には基本技としてしか見られなかった技も復活しだした。そういう意味ではそれが美しい体操を再現できるきっかけになり、今のルールが規定の役割を果たしているといえるかもしれない。