第1回ユースオリンピック(女子体操)報告
■代表決定から準備まで
第1回ユースオリンピック(2010/シンガポール)の代表選考は今年5月の全日本体操競技選手権(2日間)によって決定された。1995年生まれの選手の中から、一枠しかないという事で本人(笹田夏実選手)もとても力が入っていた。結果は世界選手権銅メダリストの鶴見選手に次ぐ2位という結果。1日目の競技では同い年の選手に負けていたが、最終日、本人のユースオリンピックに出場したいという気持ちの強さもあり、ミスのない演技で見事出場権を獲得した。
大会の意義から今大会は通常、国際大会にも帯同するコーチ(ロシア人)ではなく別のコーチ(日本人)が帯同する事となった。ルールもシニアの大会とは違う為、事前に構成も変更しなくてはならなかった。高難度の技を実施しても多く得点は貰えず、リスクが高いだけになってしまうので笹田の持ち味であるG難度の技も今回は披露しない方向で演技構成を変更した。1か月程前から味の素ナショナルトレーニングセンターにて、競技と同じメーカーの器具での練習を行った。
■現地にて
8月11日結団式が行われ、12日に出発だったが、コーチはミーティングがあるために一日早く出発し結団式には出席出来なかった。
選手村に到着すると選手やコーチ一人一人に現地で使える携帯電話が支給され、そこから競技成績などが見られるようになっていた。連絡も取り合う事が出来、大変便利だった。
現地は暑く、湿気が強くてどこに行ってもクーラーがとても強くかかっていた。その為体調が崩れないか心配したが、出掛ける時には必ずジャージを持って行くなどして対応した。
食事は殆ど毎日同じようなメニューではあったが、美味しくバランスが採れたものだったので特に問題はなかった。
体操女子の帯同コーチがアディッショナルコーチだったので、選手村に滞在する事が出来ず選手の生活を見守れない事を少し不便に感じた。
■本会場にて
到着翌日から練習会場での練習が始まった。練習会場の器具は、跳馬が1レーン・段違い平行棒が2台・平均台が2台とフロアが完備されていた。ゆかは少し硬く、競技用とは弾み方が違う事が予想されたが、それ以外は問題なく練習出来た。
8月15日には競技会場でサブ会場練習の後、本会場練習が行われた。手違いで審判の先生に手を挙げて試技をしてしまったり、照明が落ちたりなどのハプニングがあったが本番用の器具に慣れる事は出来た。
■各種目の試合経過と戦評
8月17日(火)個人総合予選・種目別予選
段違い平行棒の5番目の演技者としてスタート。緊張からか、前振りひねり下移動低棒倒立で中断してしまうミスがあり13.200。
2種目目の平均台では落下こそ無かったがふらつきが多く、下り技の後方屈伸2回宙返りが着地でも大きく動いてしまい13.550。
3種目目のゆかもミスなく通したが、全ての着地がうまくまとめられず12.800。
4種目目の跳馬はユルチェンコ一回ひねりで14.000。種目別予選の為の2本目はユルチェンコ2回ひねり。着地姿勢が低くなってしまったが、なんとか持ちこたえ14.050。
予選は合計53.550、10位での予選通過となった。
メダルを獲るには最低でも55点以上が必要である。決勝前日の練習では、平行棒の失敗箇所の修正と平均台・ゆかの完成度の向上、跳馬の確認を行った。
8月19日(水)個人総合決勝
段違い平行棒の3番目の演技者としてスタート。1種目目の平行棒は予選よりも落ち着いた演技が出来、着地まで綺麗にまとめ14.050を獲得。
2種目目の平均台もふらつきをなくし、ラストの着地も減点を最小限に抑え14.100まで点数を引き上げた。この時点では3位に付ける。
3種目目ゆか、思い切って演技をしていたが着地の度に数歩動いてしまうミスやジャンプの開脚度、表現力の減点などが多く13.150。しかし予選より0.35上乗せする事が出来た。この時点で1位ロシア2位中国3位イタリアに次いで0.10の差で4位に付ける。メダルを獲得するにはイタリアの選手のゆかの演技に、跳馬で上回る事が必要であった。予選の跳馬では、1回ひねり14.000、2回ひねり14.050。イタリアの選手のゆかが13.500。予選通りの演技であれば銅メダルは笹田選手に輝いていたであろう。しかしこの時私は、イタリアの選手の並々ならぬメダルへの執念と、人を引き付ける魅力を感じていた。女子のゆかというのは、気を抜けばいくらでも減点をされるが、自分の魅力を最大限に表現すれば高い点数を出してもらえる事がある。その怖さを感じていた。ここで引き下がる事は簡単だった。
結果から言うと、イタリアの選手のゆかが13.950。笹田選手の跳馬が2回ひねり13.800。0.25の差で4位となった。要するに、3位に入るには笹田選手は14.050が必要だった事になる。先に演技をしなくてはならない状況で、笹田選手は自分の魅力を跳馬で表現する為に戦いを挑んだのだ。もちろん悔しい気持ちも残ったが、正々堂々と戦ったことで清々しい試合となった。個人決勝の試合後初めて、選手村でイタリアのコーチと選手に出会った時にはお互いの健闘を称えあう事も出来た。これは、コーチにとっても選手にとっても財産になる出来事になったと思う。
8月21日 種目別決勝1日目
跳馬。ここでメダルを獲得し雪辱を晴らしたかったが、2回ひねりに挑戦出来ず力を発揮しきれずに4位に終わった。
8月22日 種目別決勝2日目
この日、私はコーチとして大きなミスを犯してしまった。笹田選手は平均台で9位に付けており、もし棄権者が出た場合出場する権利があった。競技会場に演技開始2時間前に行き、棄権者がいないか確認したがその時点ではいなかった。
昨日の段違い平行棒決勝で顔を打った選手(カナダ)がいたのでそのコーチとも直接話しをしたが、問題ないので出場するとのこと。それを鵜呑みにしたのが間違いだった。少し残念に思いながら選手と練習会場に移動し練習を始めてしまった。競技開始15分前になって、棄権者(カナダ)が出たという連絡が入った。しかし時間には間に合わないので、10位の選手に権利を譲る形になってしまった。もしぎりぎりになっても、棄権者が出たら出場する事が出来るという知識がなかった為にチャンスを逃してしまった。全て私の責任であり、あってはならない事。大変申し訳なく思う。
■競技の総評と反省他
今大会で感じた事は当たり前の事であるが、普段から選手がその所属のコーチの言う事を素直に聞き、練習をし、試合をしなければ、どんなに技術があろうとメダルには届かないということである。そして各国の若い選手達の其々の魅力ある演技に、更なる体操競技の飛躍を感じた。とくにロシアのKOMOVA選手の演技は素晴らしく、ここに戦いを挑んでいくには演技の正確さはもちろん、日本人として違った魅力を打ち出す必要も感じた。
試合終了後もあと四日間の滞在をし、用意されていた文化・教育プログラムや他競技の応援などに参加した。予約制のプログラムは競技後の日程はどれもいっぱいで予約をとるのが大変だった。その中で参加する事が出来たものは、シンガポールの街の清掃活動や水の浄化システムについて学べるものだった。現地のボランティアの学生さん達が声を沢山かけてくださり、参加を促してくれていたので選手達も積極的になれた。選手村にも沢山のブースがあり、様々な国々の文化に触れる事が出来た。選手達は普段接することのない文化に戸惑いつつも、楽しんでいた。諸外国のコーチ同士も親交を深め、沢山の意見交換が出来た。その中で、お互いの労を労い、称えあい、励ましあう事でフェアプレー精神を感じた。
生活面では、私がホテルでの滞在だったので、選手村に帰りそこからまたバス移動するので時間がかかった。競技が始まると出発時間が遅く、帰りも夜遅いのでタクシー移動をした。
体操競技は練習会場と競技会場が別の場所にあったが、競技開始前の本会場練習の際に選手村から本会場までのバスがあまりなく係りの方に質問しても回答があやふやで、歩き回り戸惑う事もあった。
滞在先のホテルの部屋ではインターネットが繋がるので、本部との連絡もスムーズに出来て便利であった。時間がある時には本部の方にも顔を出す事が出来たが、それが出来ない時には報告書や行動予定をメールで提出した。
練習中に選手が足首を少し捻ってしまい心配があったが、チームドクターの先生にすぐに診てもらう事が出来て演技には問題なかったので、安心して試合の日を迎えられた。本会場練習の際に、メディアの方たちがインタビューの練習をして下さった。選手達に「あなた達は将来ロンドンオリンピックなどのも更に大きな大会にも出ていくでしょうから、その時の為にインタビューの練習もしましょう」と言っていて、英語での対応も体験させてもらった。
試合の際には団長をはじめ、沢山の先生方に応援に来て頂きとても心強かった。悔しい思いをした時には励まして頂き本当に嬉しく思い、また気が引き締まった。日本の代表としてこのような経験をさせて頂けた事は、本当に尊く幸せな事だと感じた。